![](http://masataka.ciao.jp/wp-content/uploads/2020/04/1994_02_28脇町006-980x654.jpg)
1994年2月。 徳島県美馬市脇町大字脇町。
脇町はうだつの町並みとして有名なところだ。脇町に限らず四国のうだつは袖うだつがほとんどで、屋根の一番上の棟から下まで延びているうだつはまだ見たことがない。
私がこのサイトで「うだつ」に分類しているものには袖うだつは含めていないので、「うだつ」のページには入れないことにした。
町並みをきれいに改修する過程だったのか、工事中の場所が多かった。1994年2月。
立派な袖うだつが立ち並んでいる。屋根も本瓦葺きだ。
袖うだつの家が並んでいる。1994年2月。
二階建てになった袖うだつ。(左1994年2月、右2018年7月)
最後の1枚は何を撮ったのか今となっては不明だ。以上、1994年2月。
脇町劇場。当時はかろうじて現役の映画館だったように思う。1994年2月。
その後、山田洋次監督の映画の舞台として使われ、修復されて保存されている。2018年7月。
うだつの町並みのすぐ南を流れる吉野川とその支流。欄干のない橋を車が走っているのが見える。1994年2月。
2018年7月5日のほぼ同じ場所から撮った吉野川。この日は雨が降ったりやんだりの天気だったが、その日までの総雨量は相当なものになっていて、川霧が出ていた。
この雨は後に平成30年7月豪雨と呼ばれる大雨となって、中国四国地方に大きな災害をもたらした。
この日は徳島に用事があって、ついでに町並み歩きもしていたのだが、次の日、帰ろうとしたら鳴門大橋は通行止めになっていた。その時はまだ瀬戸大橋は通れたので、徳島から高松、岡山回りで帰ることにした。ところが高速道路も各地で通行止めになっていて、主要国道も渋滞だった。一日がかりで大阪まで戻ったことを覚えている。
以下は2018年7月の写真。
町並みはずいぶんと整備され、きれいになっていた。2018年7月。
電柱なども地下化されてなくなっていた。昔と比べるとずいぶん印象が違う。2018年7月。
ボンカレーの大塚食品の創業家は徳島県出身。2018年7月。
見事な袖うだつが並ぶ。2018年7月。
雨で観光客は少なかった。2018年7月。
徳島県美馬市脇町大字脇町。1994年2月、2018年7月。