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江戸時代は鎖国の時代と言われているが、正確にはそうではなかった。朝鮮とは国交があり、将軍の代替わりの度に通信使が訪れている。その通信使たちは滋賀県の野洲から鳥居本の区間は中山道をはずれ、並行する街道を歩いた。それが朝鮮人街道だ。
彦根東高校新聞部のみなさんの研究が詳しい。(サンライズ出版 門脇正人著「『朝鮮人街道』をゆく」参照)
その道の一部を1991年と2009年に近江八幡市の十王から江頭まで歩いた。2006年には門脇先生のお話を伺うこともできた。
舟板塀。廃船の木材を家の壁に利用している。琵琶湖の周辺ではよく見かける。正確には舟板壁だけれども。
妻入りの町家が多いのもこのあたりの特徴だ。ばったん床几も見える。
ここからは2009年の写真。
研究の成果か、何ヶ所かで「朝鮮人街道」の石碑や掲示を見かけた。
1991年5月、2009年12月 滋賀県近江八幡市十王町、江頭町