8月16日
中国本土最後の一日。買い物もすませたし、何もすることがなくなって、広州市内観光。まずは動物園へ。パンダが動いていてラッキーだけど、もう飽きてしまった。(1984年)
中国は冷房がほとんどない。必然的に暑いから、真昼には動く気がしなくなる。どこでも昼寝をするくせがついてしまった。動物園でも当然昼寝の時間が来た。ところが、昼寝に関しては中国人はプロ。木陰のベンチは既に満員。仕方なく少し日の当たるベンチで横になる。見るとはなしに見ていると、前のサギがまるで置物のようにピクリとも動かない。感心して一枚。(1984年)
当時の中国は本当に冷房がなかった。列車もホテルも冷房付きということを確かめなければならなかった。外国人向けのホテルではだいたい冷房つきにありつけたが、列車やバスなどの乗り物では冷房付きにあたることはめったになかった。外国人向けの施設には冷房があることが多かったので、一流ホテルや友諠商店を見るとほっとして休憩していた。
冷たい飲み物も同様で、これも外国人向けの施設でしか手に入らなかった。私が小学生だったころ(1960年代)の日本の状況より、まだまだ遅れている印象だった。
トイレはその時だけのことなので、あまり気にならなかったが、嫌な人はものすごく抵抗があったと思う。1970年代まで東大寺の境内に有料トイレというものがあって、こども心に誰が使うのかと思っていたが、今から思えば外国人観光客のためのものだったのだろう。当時の日本の公衆便所は、まだぽっとん式のところもあり、外国人には抵抗があったかもしれない。駅のトイレにもウォッシュレットがついている現代からは想像もつかない。1984年の中国のトイレが1960年代の日本のそれよりももっともっと悲惨なものであったことは言うまでもない。(2020年)
越秀公園は市民の公園だが入場料が要る。わずかなものだが、お金が要るとなると人は少ない。入場券の定期券を売っているのには驚いたが、それは老人たちのためだったらしい。あちこちの木陰で老人たちがトランプや将棋を楽しんでいる。それを取り巻いて見物している暇人たちは比較的若い。(1984年)
今では公園や動物園の年間パスというのは日本でもよく見かけるが、当時の日本にはほとんどなかった。この点では中国の方がすすんでいた。(2020年)
六榕塔では、どこかの日本人の団体について入ったら、無料になった。塔から下を見ると面白い建物が多い。(1984年)











