1984年中国の旅(11)北京

8月5日
 故宮でつかまえた広島の教師のグループのバスに便乗させてもらって長城へ。目的のない旅行者にとっては、せめて長城くらいは見ておこう、という気持ちは重い足を歩ませる一つのモチベーションになる。(1984年)
 今から思えば、もったいない話だが、特にここに行きたいとか、これを見たいとかいう気持ちがあまりなかった。中国そのものにも、あまり興味がなかった。とにかく、まだ個人では行けない中国に行くんだ、という気持ちだけがあり、移動そのものが目的化していたきらいがある。北京の主な名所は2002年になって、初めて訪れた。(2009年)
  
 長城に行くなら、日曜だけはさけろと言われた。その日曜にまともにぶつかってしまった。外国人観光客も多いし、中国人観光客はもっと多い。狭い山道を数限りないバスが登っていくものだから、そこらじゅう渋滞。おまけに、中国のおんぼろバスは坂道が不得手。オーバーヒートして動かなくなったバスが、そこここで休憩していて、渋滞にわをかける。長城に入ってからも人の波。急な坂道を人にぶつからないように気をつけながら登る。中国ではカメラが普及しかけたところ。とにかく記念写真が大好き。必ずポーズをとって写す。2眼レフが多いが、2重焦点式のものも。一眼レフもけっこう多い。ポーズを指示し、ピントをあわせ、露出を決め、また指示を出し、通行人をどかせ、とにかく1枚撮るのに相当な時間を要する。(1984年)
  
 長城では、一人で駐車場近くの食堂で食べた。中国人の観光客で満員で、メニューもよく分からず、窓口で食券を買った。大勢並んでいる窓口では、難しいものは注文できないので、ギョウザを頼むことにしたが、その単位が分からない。1斤いくらと書いてあるので1斤頼んだが、山盛りあった。今なら分かるのだが、1斤は500グラム。食べきれずに残す。
この旅行では、食事を頼むということが、本当に大変だった。まだまだ民営化前で、お役所的な食堂ばかり。そこで、割り込みが平気な中国人に混じって注文しなければならないので、ヤマ勘で当てずっぽうで頼むしかない。中国語も話せないから、メニューの適当なものを紙に書いて見せる。そんなこんなで食事を楽しむということからは程遠い旅行だった。(2001年)
  
「景色ばかり撮ってないで、自分の写真も撮りなさい。」と言われ、旅行団の人にとって貰った1枚。(1984年)
 
 明の十三陵。
 西安の乾陵を見た後では、それほどのことはない。広い地下室に棺が安置されている。クーラーのほとんどない中国では地下の墓地は快適な場所だ。一度入るといつまでも入っていたくなる。(1984年)
 
 北京での宿は橋園飯店。朝になるとどこからか人が集まって体操を始める。日本ではラジオ体操、中国では太極拳と武術である。(1984年)
 当時はホテルに関する情報も少なく、とにかく地球の歩き方に出ている自由旅行者向けの安宿を訪ねていた。このホテルもドミトリーがあったので、そこにはバックパッカーたちが大勢いた。(2001年)

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