1984年中国の旅(9)大同

8月1日
 夜行の硬臥で太原へ向かう。切符を車掌に渡して、赤い札と取り替えるシステムらしいが、それが分からず、切符だけを取られて、赤い札をもらわず。不安だったが、案の定、夜中に他の客がやって来て、車掌と大ゲンカ。結局、切符を全部調べると私の切符が出てきた。女車掌はころっと態度を変えて、ニコッと笑って「トエプチー」でオシマイ。あっさりしている。(1984年)
 硬臥というのは2等寝台のこと。料金も安く、寝ることもできるので、一番取りにくい切符。当時はコンピュータによる切符の管理は導入されていなくて、主要駅ごとに割り当てられた枚数を売り、車内で車掌が部屋を割り振るシステムだった。その仕組みが理解できていなかったので、夜中にトラブルに巻き込まれた。
当時の中国人はあまり謝ることをしなかった。「トエプチー」という言葉はほとんど聞かなかったので、これでも車掌としては謝った方だと思う。(2001年)
8月2日
太原で乗り換えて、大同へ。車中で東芝の駐在員と知り合って、大同から北京まで世話になる。(1984年)
  太原から大同までは、軟座に乗った。これはグリーン車に当たる。近距離の列車にだけあって、料金が高いので簡単に取れた。その食堂車で東芝の社員と知り合った。(2001年)
8月3日
雲崗石窟へ。(1984年)
  大同では、東芝の社員に連れられて、外国人向けの招待所のようなところに泊まった。ホテルではなく、民宿のような感じの所。
次の日の朝、彼は仕事に出かけ、私は一人でバスに乗って雲崗へ。(2001年)
         
 仏像を塗り替えるのは現代中国だけではない。ここの仏像も清代に一度修復しているという。ところどころに空いている穴はその時クサビを打った跡だ。そのクサビを中心に上からしっくいを塗り、その上から彩色したという。(1984年)
     
 この日は雲崗石窟を2度訪れた。午前中は満員のバスにゆられて一人で。午後は東芝のM氏と一緒に大勢の中国人に連れられてガイド付きで。仕事をサボりたいから、何人でもついてくるのだという。小さなジープに6人乗り込んで出かけた。雲崗では、さらにもう一人のガイドがついた。(1984年)
     
 中国では何でも外国人料金がある。鉄道、飛行機、ホテル代はもちろん、食堂でも外人用のメニューを用意しているし、観光地の入場料もそうだ。飛行機、ホテルに関してはパスポートが必要なのでのがれられないが、鉄道は自分で買ったものは全て人民料金。入場料は全部中国人料金で払った。ここでは、外人用の入場券売場は閉まっていたが、ツアーの人たちの持っている切符を見ると、1枚3元の写真つきの立派な入場券だった。こちらは一人1角である。
(1984年)
 
この雲崗の石像群、やたらと落書が多い。ガイドに聞くと、全て解放前のものだと言う。つい最近書かれたらしいものも多いが、とにかく解放前だそうだ。悪いことは全て解放前ですませてしまう。(1984年)
 大同から北京まで、このM氏と一緒に行った。切符の手配も彼の仕事の相手先の人にお願いしたが、当然のこととはいえ、軟臥の外国人料金だった。快適にすごしたが、ホテル代、食事代、全て高くついた。2日間、貴族の生活をした。(1984年)
 軟臥というのは、A寝台。2人部屋で、広々としていて、湯飲みまでついている。
人民料金と外国人料金の格差はひどく、私としては相当の出費だったが、日本のお金に直すと大したことはない。ただ、その前後の現地での出費と比べるとまさに貴族だった。(2001年)

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