1984年中国の旅(3)広州

7月25日

 バスで広州市内をウロウロ。こんなに空いたバスは滅多にない。いつも超満員。12時頃だけ奇跡的にすく。昼飯と午睡の時間。街は死んだように静かになる。(1984年)

 今でもこんなに空いたバスは珍しいと思う。昼寝の威力か。当時は百貨店でもカウンターの後ろで店員さんが床に寝転んで昼寝していた。
 椅子の様子が少し洒落ているので、ひょっとすると少し料金の高いバスだったのかもしれない。旅行者には、0.3元でも、1元でも、あまり気にならないが、現地の人にしたら大違い。そのせいだったかもしれない。(2001年)
 当時の中国元(兌換幣)のレートは1元が100円くらいだったように思う。今(2020年)の約6倍も高かった。(その後、急激に下げられることとなる。)現地での感覚は1元が1000円くらいの使いでがあった。外国人がそう感じるのだから、中国人にしてみればもっと価値があっただろう。当時の市バスは一般バスと高級バスの2種類が走っていて、値段は3角(0.3元)と1元だったように思う。(2020年)
 中国の街には、やたらと警官の姿が目につく。大きな交差点には必ず数人の警官がいて、サングラスがいかにもカッコよく見える。日差しが強いので大きなパラソルを交差点の真ん中に立てて交通整理をしている。日が傾いているので、パラソルはほぼ真横に向けられている。(1984年)
 今では目にすることができない光景だ。当時の警官の力は相当だったみたいで、交差点で停止線を少しでもオーバーして停まっている自転車がいたら、警官がそっちの方を見るだけで、線まで自転車を戻していた。信号無視を平気でする今の中国人からは想像もできない姿だった。(2001年)
 中国の写真屋のウインドウは面白い。何度見ても飽きない。どうして写したんだろうと思うひどく横長の記念写真が目につく。それとモノクロの写真に後から彩色した人工着色写真。本当に不思議写真館である。(1984年)
 カラー写真がまだ普及していなくてモノクロに彩色した人工着色の写真が流行っていた。横長の写真も懐かしい。パノラマなんて、もちろんない時代ですよ。
中国では独特の写真表現が発達したのか。人工着色のカラー写真などというのは、日本では大昔の絵葉書くらいで、家庭にまで普及していた記憶はほとんどない。横長の写真は、うちの父などは複数の写真を切ってつないでアルバムに貼っていたから、日本でも少しは流行ったのかもしれない。パノラマ写真というのも、今から思えば、ほんの短期間の流行でした。だいたいフィルムの写真を撮る人がほとんどいなくなるなんていう時代は想像もつかなかったもの。(2001年)
 中国の道はありとあらゆる乗り物が通る。牛車、馬車、リヤカー、自転車、オートバイ、サイドカー、ミゼット、トラック、バス、トロリーバス、タクシー、高級外車、上海号etc. 近世から現代までのありとあらゆる乗り物が走りまわる。交通規則は守られているようで、そうでもなく、秩序がなさそうで、ある。何度か自転車とぶつかった。この写真の交通量は、やや少なめ。ラッシュ時はすごい混雑である。(1984年)
 この状況は現在も基本的にはあまり変わっていないような気がする。でも、明らかに車が増え自転車が減った。さすがに牛車や馬車は街中では見かけなくなった。
上海号というのは当時の高級国産(中国産)車。党の幹部たちが乗っていた。(2001年)

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