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1992年4月。 植村家長屋門(奈良県高取町大字下子島)
高取城の方に向かって登って行く坂道のかかりにこの立派な長屋門が残っている。
もう一軒残る田塩家の長屋門。1992年4月。 高取町下子島。
田塩家長屋門、2013年5月。
高取には土佐街道と呼ばれる場所があり、古い町並みが残っている。土佐出身の人たちが住み着いたので土佐という地名になったそうだ。
お城に続く細い坂道の両側に古い格子造りの民家がたくさん残っている。
ばったん床几も見られる。 1992年4月。
高取には仲のいい同級生の家があったので、何度となく来ている。しかし、カメラを持って行くわけもなく、当時の写真は残っていない。大人になってからカメラを持って何度か訪れた。しかし、そのころには友人はもう関東に引っ越していた。
馬繋ぎの環だと思われる。 1992年4月。 高取町下土佐、上土佐付近。
1992年4月、奈良県高取町、土佐街道の町並み。
「瓦斯溶接」の看板が見える。 1992年4月。
2013年5月の同じ建物。
以下は2013年5月の写真だ。
古い町並み歩きをしていると、ときどきこの塩の看板を見かける。塩が専売品だった時代があった。専売品という言葉がすでに死語かもしれない。酒やたばこもどこでも買えるようになった。
高取は薬の町でもある。越中富山の薬売りという言葉があるが、同じように高取の人たちも置き薬を持って全国を売り歩いていたそうだ。
「置き薬」も死語に近いかもしれない。昔は家に薬箱が置いてあって、風邪や腹痛のときはそこから薬を取り出して飲んだ。その薬箱は薬売りの人が置いていったもので、次に来られた時に減った薬の分だけ代金を払う仕組みだった。
つし二階、虫籠窓、馬繋ぎの環、格子戸。関西の民家の特徴があちこちにみられる。
代々、御殿医であったという石川医院。藩の下屋敷の門が移築されている。 2013年5月。
2013年5月。 奈良県高取町下土佐、上土佐。
(それぞれの写真はクリックすると拡大されます)
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