1991年11月 京都市上京区
町並み歩きを始めて、もう30年以上にもなるが、京都、奈良、大阪に関しては地元意識が強く、いつでも行けるという思いから、あまりきちんと歩いたことがない。
京都市には古い町並みがいっぱいあるが、まだまだ大丈夫だろうと思って、意識的に行くことはなく、何かのついでに適当に散歩するだけですませていた。先日(2019年10月)西陣を歩いてみて、古い建物がほとんど建て替わっていることに衝撃を受けた。どうして何年か前にきちんと歩いておかなかったのかと、遅すぎる後悔をした。
幸い、1991年に撮った写真が数枚出てきて、少しほっとした。ただ、今あらためてそれらの写真を見ると、その時すでに廃屋になりかけているものが何軒もあったことに気づいた。街並み歩きをしていて、しばしば思うことは、もう10年20年前に来たかったということだが、本当に今回もそう思った。
京都にいると西陣とか室町という言葉をよく耳にするが、私には実のところどこからどこまでを西陣と言うのかはっきりしない。室町と言うのもどの地域を指すのかも漠然としか分かっていない。
西陣も室町も呉服関係のお店の並んでいる地域だが、今では滅びつつある業種のひとつだ。
私のこどものころは近所にも織屋さんがあったし、お隣は金糸工場だった。(金糸工場はいまでも細々と続けておられる。)
そういう風景も身近なものではなくなった。
こうして昔の写真を見ると、うだつもけっこう残っている。
しかし、それらのうちのいくつかが、売りに出されていたり、空き家になっていたのが分かる。
西陣という地域がどの辺をさすのかははっきりしないが、すべてそのあたりでの撮影だ。
この地図は中西徹さんの著書「うだつ その発生と終焉」(1990年二瓶社刊)からの引用だ。
この本には町並み歩きを始めたころに出会って、いろいろと参考にさせていただいた。
上の1991年の写真はだいたいその地域内での撮影だと思われる。当時も(今も)あまり正確な場所を意識しないで撮影しているので、後で見ると正確な検証はできない。
以上は2013年5月の撮影。
この日は上七軒を目指して歩いていて、その途中で西陣あたりも通っただけなので、意識して撮影していないのだが、それでもうだつは1枚も写りこんでいない。1991年からの22年の間にうだつのある町家はほとんど消滅したのかもしれない。
そして今回(2019年10月)は上掲の中西徹さんの地図を見ながら歩いてみた。しかし、地図に〇のついている町家はことごとく存在せず、うだつの姿もほとんどなかった。
かろうじて1軒目を発見。2019年10月。元誓願寺通あたり。
2軒目を発見。五辻通あたり。 2019年10月。
改築されたのか、うだつそのものは新しい。
新しいうだつを発見。建て替えられたのだろうが、うだつも一緒に建てられたようだ。
2019年10月。 上立売か寺之内通。
ちょうど夕刊の時間にあたったのか、新聞配達店から数名の配達員の方が出てきた。全員、徒歩でたすき掛けだったのにびっくりした。今ではほとんど見られない姿だ。 2019年10月。
西陣のあたりには、まだまだ京都らしい風景が広がっているが、この20年、30年の間に古い町家はほとんど建て替えられ、鉄筋の小さなビルが増えていた。京都はいつでも行けると思っていたのは失敗だった。
2020年2月。中西徹さんの地図を参考に、再度西陣に挑戦。
有名なすっぽん料理やの大市さんには、うだつが残っていた。
2020年2月、京都市上京区六番町。千本出水を少し西に入ったあたり。
今回の街歩きで発見したうだつはこれだけだった。
大市のすぐそばの焼肉屋さん。
千本通り、仁和寺街道と交わるあたりの魚屋さん。といっても鮮魚店ではない。
大宮中立売あたり。 2020年2月。
大宮通。千本から今出川までの間。 2020年2月。