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7月29日
再び硬座の夜行に乗って西安に着く。今度は一泊だけなので、そんなに苦にならない。日射病気味だったが、硬座で一晩汗をかいたら治ってしまった。西安の宿は鐘楼飯店。目の前に鐘楼がある。なかなか部屋がとれず、サービスは悪くて値段は高い。ホテルの従業員は皆公務員。個人としては親切だが、仕事は徹底的にサボる。晩飯を注文して1時間以上待たされたこともあった。(1984年)
当時、外国人が宿泊できるホテルは限られていて、いわゆる一流ホテルに限定されていた。そのかわり、ドミトリーという大部屋があり、バックパッカーたちはそこに泊まっていた。値段は3元程度だったと思うが、あまり覚えていない。もっと安かったかもしれない。しかし、すぐに満員になって、ベッドが確保できないこともあった。中国人向けのホテルだと、もっと安くであったのだが、そこには外国人は泊めてくれなかった。泊まれたという噂を聞いて交渉に行ってもほとんどはだめだった。
西安では安いベッドが取れず、旅先で知り合った日本人とツインの部屋をシェアした。(2001年)
西安では安いベッドが取れず、旅先で知り合った日本人とツインの部屋をシェアした。(2001年)
今でも一人旅のときにドミに泊まることもあるが、気が滅入る。ただただ寝るだけと言ってもあの狭い空間にいると息がつまる。日本のドミやカプセルホテルはプライバシー重視で個人の空間が密閉されているところが多いが、この旅行のときに泊まったドミは大部分が比較的開放的で、宿泊者どうしでわいわいがやがやとおしゃべりをした。まだガイドブックも十分ではなく、ましてやインターネットなどない時代だったので、ドミでの他のバックパッカーたちとの情報交換が重要だった。一度会った旅行者と別の町のドミで再会することも何度かあった。そうして旅のスキルを上げていった。(2020年)
街の中心には必ず自転車置場。ホテルの窓から。(1984年)
7月30日
西安の象徴、大雁塔。敷地に入るのにまず1角。さらに塔へ登るには2角の入場料。そこまで来て文句を言って登らない中国人は多い。彼らの金銭感覚の目安になる。2角=200円くらいの感じか。金持ちの日本人にしてみれば、あくまでも2角は20円。文句は言うけれど、結局は払う。(1984年)
自分で使っている感じでは、1元は1000円ほどの感覚。ただし、人民元でそれだから、兌換弊は当時の闇市のレートでも1.5倍。実際にはもっとレートは良かったはずだから、1元=2000円くらいだったのかもしれない。しかし、完全に貨幣経済に移行する前の話だから、お金の値打ちは単純には計れない。昔の日本もそうだった。田舎では給料は安かったが、野菜や米は自給だから、買うものは少ない。何かもの(工業製品等)を買おうとすると買えないが、日常の食べ物には不自由しなかった。(2001年)
大雁塔からの眺め。(1984年)
西安のもう一つの塔、小雁塔。二重に入場料を取られるのはここも同じ。大雁塔と比べると観光客も少なく管理もおざなり。最上階はむきだしで、一番上に人が立てる。(1984年)